三島児童文学を語る会

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文學者・小出正吾

★ 生誕

小出正吾さんは、二十世紀のはじまる四年前、明治三十年に三島の窪町(現在の中央町)に生まれ、二十世紀の終わり十年を残す平成二年に九十三歳で亡くなりました。二十世紀を生きた証し人と言えると思います。

★ 作家として

天性のユーモリストで、子供の頃からの敬虔なクリスチャンであり、自然と人間と平和を愛し続け、生涯童心を失わなかった稀有の児童文学者でした。その著作は、童話、少年少女小説、再話、翻訳、伝記、聖書物語、エッセイなどにわたり、共著や編著を含めると、二百五十冊を超えます。

大人向けの作品も少なくありません。三十歳から八十歳代のほぼ半世紀にわたって、郷土を舞台にした童話をはじめ、わかりやすく心あたたまる文章をたくさん残しました。

★ 思想

三島市役所のすぐそばには、生誕記念碑が建てられています。自然石に、「子どもには、子どもの世界がある」と小出さんの生涯の活動の土台になった思想が刻まれています。

★ 生活

小出さんは三島生まれの三島育ちです。長じて東京に住み、貿易の仕事をしていた24歳のとき、十箇月ほどインドネシアで暮らしましたが、 軸足はいつもふるさと三島に置きました。

旧制韮山中学校を出るまでは、窪町の家から学校に通いました。広い樹林のある箱根山麓の裾に、祖父・小出市兵衛さんの山荘がありました。そこは市兵衛さんの屋号、桔梗(ききょう)屋の「桔」と市兵衛さんの「市」から「桔市(きいち)の山」と呼ばれ、赤松、椎、山桃、くぬぎ、楢、栗などの雑木に囲まれた、小出少年の遊び場でした。

戦後、昭和二十年に戦火にまみれた東京から、この「桔市の山」に居を移し、終の棲家としました。 少年の頃からの「桔市の山」 とその周辺での思い出は、たくさんの小出童話となって作中にその面影を残しました。このことは生誕地である中心街や、少年時代によく行った三島大社やそのほかの小出さんの生活の舞台であった三島の各地にも言え、これらは明治のころからの古い三島を偲ぶ貴重な資料でもあります。

★ 戦争

小出さんは人生のちょうど半ば48歳で、敗戦を体験しました。ですから作品は、戦前と戦後にわたっています。この視点で小出さんの作品を見ますと、いくつか気づかされることはあるのですが、亡くなられた直後出された童話全集(全4巻・平成13年刊行)は、子供たちが受けた戦後の教育に矛盾しないものを精選してあり、心配なく今の子供たちに読ませることができます。

★ 三島市民と小出さん

九十三歳の長寿を全うされた小出正吾さんは、三島の生んだスケールの大きな作家です。戦後帰郷されてからは、三島の教育分野や文化事業に大きな足跡を残しました。三島の小学校を回り、童話を語られた時期もあります。

また三島図書館の巡回車「ジンタ号」は、小出さんの代表的な童話集「ジンタの音」が昭和四十九年に野間児童文芸賞を受賞したとき、その賞金を市に寄付されたことで始められた活動です。(桜川のほとりに記念文学碑があります。)このほか特に文化面でたくさんの愛を故郷三島に注がれました。

小出さんの郷土愛は童話からも深く伝わってきます。作品を読みますと、三島の良さや身辺の歴史の生きた知識や未来への願いが、滋味を持って強く迫ってくるのを覚えます。

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